It’s All Too Much

pionee2007-03-14

3/13(火)「グリシャム完全復活」


法学生のたかっちょに先達を頼み、こばやん、久米久米兄さんらとともに裁判の傍聴に行く。


高校の授業で京都地裁に行って以来なので、実に4〜5年ぶりの傍聴である。
午前十時半、東京メトロ霞ヶ関駅に集合し、東京高等裁判所へ。
当日は村上世彰氏、鈴木宗男氏らのビッグネームが並ぶ中、比較的短い一時間ものと長尺の三時間ものを選んで見る。
どちらも刑事事件だったが、先に見た方は三人組の中国人窃盗団による家宅侵入と窃盗の公判で、被告人が三人まとめて出廷するという変わり種の案件に興味をそそられて見学。
被告人三人が法廷に入るなり耳にイヤホンを当てられ、通訳の男性が仲介するという展開に素直に興奮する。
面白いのは、検事が犯行当時の様子をまとめた報告書をつらつらと読み上げると、その情景がかなり鮮烈な形で頭の中に思い浮かぶという点である。
「運転手を玄関に待たせて」、「ライオンズマンションに侵入し」、「扉の施錠をこじ開け」、「家内を物色」といった言葉を耳にする度、目の前にいる被告らが犯行に至るその一部始終がまさに映像を伴う情報として脳内に入り込んでくるのである。
また、「孫にプレゼントを買う為に貯金していた五百円貯金を盗まれて大変悔しい思いをしました。厳重な処罰をお願いします」といった原告側の涙ながらの訴えは実に人情味に溢れ、赤の他人である我々にもぐっと込み上げてくるものがある。


昼食(無意識に中華を選ぶ)を挟んで次に傍聴した二件目の審理では、証人の精神科医も出廷し、長丁場ゆえに見所ある公判だったと言えるが、堂々めぐりする弁護人の弁論のせいでなかなか事件の全貌が明らかにならず、「つまらんかったら他のやつ見よう」と事前に話していた経緯もあって、こばやん、久米っちが相次いで退席(その後、こばやんは戻ってくるが)。しかしこれも弁論の端々に隠されたわずかなヒントを辿ることで事件の詳細が分かるにつれ、その時々の情景が目に浮かび、さながらミステリー小説を読み進めていくかのようなスリリングな趣きすら感じられた(もはや悪ノリですが)。
そういった意味では、自分の生活に馴染みがなく、そもそも統計学的な犯罪である証券取引法違反などの案件はあまり映像的ではないのかもしれない。尤も、話題性やタレント性を求めるなら村上世彰氏の裁判などは結構熱いとは思うのだが、何分ポピュラリティーの高い事件なので、事前に傍聴券が必要となる分、傍聴初心者にとってはなかなか敷居が高い。その点、僕としては親近感のある、下町っぽい事件の方が好みだ。


午後五時、友人三人と別れ、吉祥寺で両親、叔父、祖母と夕食を食べる。
今日何してたかと聞かれ、裁判所に行ったと答えると、私が何らかの事件で召喚されたと早合点していた。まあ、いいけどね。


3/14(水)「宗教の道に入ったジョージ」


初めて行った丸の内の丸善が楽しすぎた。


何故だか知らんけど「東京駅といえば八重洲ブックセンター」が刷り込まれている僕にとって、東京駅丸の内口というのはなかなか縁遠い場所で、ていうか東京駅自体そんなに行かないので、これまでずっと敬遠してきた丸善丸の内本店であるが、今日の午後、小用あって立ち寄ってみると、何かこう、山田優的なスタイリッシュ都市生活感というか、言い換えるならウキウキホリデイ気分(同じ感覚を恵比寿のガーデンプレイスにも感じる)を味わってしまい、そのまま山田優になった気分で店内を物色した。


春樹訳の『ロング・グッドバイ』に後ろ髪引かれながら、話題の新刊『自分の体で実験したい』をはじめ、気になる本数冊と五百円DVDを二枚購入する。
「所有欲が減退している」などと口走った矢先、何が後ろ髪引かれながらだ、と良識ある人に怒られそうなので、誤解のないよう言い改める必要があるが、僕は自分の部屋にはあまり物を置きたくないというだけで物欲の方は寧ろズッキンキンなのである。幸い、我が家の本棚にはまだ若干の余裕があるのだ。
しかしながら新書屋でこんなに買い物することは滅多にない。買ったものもここでしか買えないほど珍しい本ではないけれど、早春の晴れ晴れとした開放感、はたまた面接帰りのリクルート達が肩で風切るオフィス街の小洒落た空気がそうさせたのか。山田優的な、Can Canな空気が。


それはともかく、今日買った本の中で特に心惹かれたのが、ラリー・カーワン著『ビートルズ・ファンタジー』(個人的には原題の『Liverpool Fantasy』の方がぐっとくる)である。
ビートルズフリークが思わず手に取りそうな肯定的なタイトルに思えるが、背表紙の梗概を見ると何やらその内容はブラックな諧謔に満ちていて、一筋縄ではいかない雰囲気を醸している(以下は梗概からの転用)。


「62年、大ブレイクを前にビートルズが解散していたら……そんな、ありえたかもしれないもうひとつの歴史を、大胆に描いた野心作。
 解散から25年。単身渡米したポールは、アメリカ風に芸名を変え、成功をおさめていたが、今ではもう過去の人。ポールは決心する。自分の原点、ビートルズにもどろう!
ーーだが、他の3人はみじめな状況にあった。宗教の道に入ったジョージ。妻モーリーンのヒモ同然のリンゴ。そして、息子ジュリアンからも軽蔑される失業者のジョン。しかも、ビートルズのいない英国は暗黒世界となっていた。そこに、突然のポールの帰郷! 伝説のマージー・ビートがリヴァプールに復活するが……おかしくも哀しい、幻想のビートルズ小説。」


予々、ビートルズの全能感というか彼らの歩んできた栄光の道というものに対して如何にも劣等生的な嫌悪感を潜在的に&勝手に抱いていたのだが(ビートルズは最強だし、少なくともこの著名なロックンロールバンドに苦悩や挫折が一切なかったなんて言ったら大嘘だけど)、この『ビートルズ・ファンタジー』はそんな矮小なひがみにも似た気持ちが必ずしも世界に一人ぼっちではないことを淡く予感させてくれるのである。
ともあれ、「ビートルズのいない英国は暗黒世界になっていた」というハチャメチャな展開には「なんでやねん」を通り越して、「やっぱビートルズいねぇとそうなるのか……」といった感じでわずかに気分も暗くなるが、その突拍子もなさが寧ろSF的で笑える部分でもある。
と言ってもまだ触りしか読んでないし、ハッピーエンドになることを実は期待しているけれど。


帰り際、新書コーナーでハードボイルド巨編・Y中Y作氏を目撃するが、立ち読みに没頭していたようなので声を掛けるのは遠慮した。
最近、有名人によく会うよ!