さようならシリアス

体力不足を実感した後片付けも何とか済んで、今年度の卒業制作展がとうとう幕を閉じました。
個人的には自分の作品を放ったらかしにして周りの人の作品ばかり観ていた数日間だった気がします。実際、いくつかの作品には「や、やられたー」って感じでポジティブに打ちのめされたし、その一方で、結局、上映までに完成版の間に合わなかった自分の不甲斐なさを痛感して泣きそうにもなりました。


ビデオアートへの憧憬が常にある自分にとって、映画は寧ろ副次的な制作物であると捉えていて、実はずっとやり続けたいものではなかったりするのですが、それでも卒業制作に映画を選んだことは、それが自分にとって一番厳しい道だと思ったからであり、実際に何度か(おもに運転で)死にかけながら、ようやく形になった今回の作品は、思い入れも強ければ相応に尺も長いし、まさに四年間の集大成といったものになりました。その集大成っぷりと言ったら、苦労の過程を全部まとめて、デアゴスティーニから付録付きの全70巻くらいで出版したいほどです。
大学に入って四年経った今でも、映画は未だにその正体が掴めず、自分の思い通りにならない畏怖すべき存在であります。だからこそ学生生活の最後に(まあ、色々と払わなければならないツケは残ってるけど)、映画についての思いをそのまま映画にしようと思った単純な僕ですが、制作当初はこれが最後の映画になるだろうと考えていたので、映画制作と決別するにはそれくらい分かりやすい対峙方法を選ぶ必要がありました。結果的に今回の制作が不完全燃焼に終わったことで、映画作りに対する意欲は今もって継続する形となり、一部の人達には大変不吉な話になってしまうけれど、現在、完全版の為に1、2回の追撮を考えているといった状況です。本当にごめんなさい。


ところで、もし今度があるなら、今度はまた地元で、安いカメラで、移動手段はおもに自転車で、DIY精神丸出しの映画を撮りたいと思っています。予てより『スタンドの出て来ないジョジョ』みたいな映画を作りたいと考えていたので、次回作は親子何代かに渡る叙事詩的なものになるだろうと思います。叙事詩といってもシリアスにはなり切れず、やっぱり今までみたいな茶番になってしまう可能性が大ですが、これまでとは違った方向性を模索したいとは考えています。せめてかっこいい映画になればいいな、と。


まあ、とにかく全部未定です。ただ、こんな不毛とも思える決意表明をこの場でだらだら書いてしまうのも、卒制が終わった今、思いの外、次の制作に対するモチベーションが高まってきているからであり、こうして思いの丈を文書に記すことで自分自身を鼓舞しようという浅はかなアイデアも、この訳の分からない高揚感を保持する上では少なからず効果的であると信じているからであります。


とはいえ、今回の作品もまだ完成してないし、実際どうなるかは分からんのですが、今大体そういう気持ちなのです。